マッハの壁は75キロだった。
2009年 01月 17日
前置きが長くなりました。
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本日のテーマは「マッハの壁は75キロだった」でしたね。
さて、わたくしがはじめてオートバイに乗ったのが16歳になった春のことです。近所に住むフレンズ達4人も並ぶように免許証を取りまして50CCを親から買ってもらったのです。放課後はダッシュでうちに帰り、我が家の前が僕らの集会場所だったのです。集まるとまずナカメの駅から左方向につながる「目黒銀座」の肉屋でハムカツを食ってから、写真正面のガード下に向かいました。
そしてガード下からこの写真を撮った場所を過ぎるまでずっと一直線の道ですから、最高速を試すには最適の場所だったのです。その当時のバイクにはリミッターと言う最高速度を抑える装置はついてませんでしたから、アクセルをひねればひねるほどスピードは出たのです。
よって・・
{出して出してだしまくり!}
という状態となりましたが、「出しまくり」の壁は75キロだったのです。これを僕らは「マッハの壁」と呼んでいました。出そうで出ないのが50CCの無改造のバイクの限界で、いかにしてマッハの壁を越えるかが目標だったのです。所詮、自己申告制ですので「出た!出た!」と言っても誰も信用はしてくれないのですが、「出た」と言うあいまいな事実が僕らのステイタスだったのです。
こんな事を何本もやるものですから、誰かが通報したらしくいつかは白バイに全員御用となった日がありまして、中目黒スピードウェイ・50CCレースはいつのまにか終わったのです。
あの時の白バイの隊員さんは、僕らが前傾姿勢でマッハの壁と立ち向かっている最後尾について走っていたそうです。でもね、切符は切らないでくれましたし、「そんなに出したいなら、デカイの乗れよ」と言ってました。白バイの人は風圧に耐えて目を真っ赤にして涙ちょろちょろの僕らをきっとバイクの仲間と感じてくれたかも知れません。
誤解なきように・・・「涙ちょろちょろ」とは
オートバイに乗るとめん玉に風圧を感じます。よって目はシバシバし涙が沢山出てくるのです。寒い時は鼻水も出ます。
今日もフリマに行ってきますが、ぼくんちはこの交差点の左方向にあります。フリマに行く時はこの交差点を右折し、右の側道を思いっきり加速して本線に合流します。本道に入るとピタッと速度を落とすのは、よくネズミ捕りをやっているからです。
それでは・・・
あの時の白バイの隊員さんも、バイク大好き少年だったのかもしれませんね。だから先生達の気持ちがわかるので、切符も切らずにいてくれたのでしょう。
元々白バイやりたい子ってオートバイ好きですよね。
涙ちょろも何発もやっていると枯れてきて充血しはじめます。
あのスピードでやられていたら間違えなく免停30日でした。
僕は免停90日を25歳の時にやって以来、今まで何もしてません。
と書いた本日、切られたりして