フェンスの向こうのアメリカ
2011年 10月 14日
柳ジョージさん急死・・・・ココ。
驚きました。アーメン。
この曲、わたしが学生時代に流行った曲だったと思うが、確かに横須賀、横田、他の米軍基地などフェンスの向こうはアメリカです。
◆ 本日ドーナッツ 「柳ジョージ FENCEの向こうのアメリカ 」
「"青い瞳のステラ, 1962年夏・・・" 柳ジョージ&レイニーウッド 」
◆ FENCEの向こうのアメリカ(サイト)
横須賀NAVY
悲しい朝です。この歌がレイニーウッドの最高傑作だと思います。(ソロ時代の「1969青い瞳のステラ」が次点)
エリアワン(:アメリカ風の番地)、ハロー(:孤児院)、PX(:米軍の売店)。地元横須賀ベースならではの歌詞がなんとも言えません。
ハマが都内より格好良かった時代を体現した、今や数少ないミュージシャンではなかったでしょうか?(若い頃ゴールデンカップスのベーシストだったはず・・・)
学生時代、地元でレイニーウッド解散コンサートに行ったのを思い出しました。もう30年以上たちますな。
うちナカメ近辺には昔大きなアメリカンスクールがありました。
わたしが幼稚園の頃に引越ししてしまいましたが、ナカメの住宅街にもアメリカちゃんが住んでいて、自転車など日本では売っていないラメ塗りのモノがありました。
基地のガードフェンスによじ登っただけで射殺されると親に教えられましたが、ドーベルマンとMPが来るだけだったらしいです。
我々の世代には多くのファンがいたようですね。
最近テレビにも出ていないなぁ~と、数日前にふと思っていたらこのニュース。
あの何とも良いよのないしがれ声が生で聴けないのかと思うと…寂しい限り。
偶然なのか、亡くなったのが12日だったそうですが、私、12日に、なんとなく急に、柳さんの歌が聴きたくて、youtubeで、「フェンスの向こうのアメリカ」と、「"青い瞳のステラ, 1962年夏・・・"」を、聴いていたんです。
虫の知らせってわけじゃないと思いますが、こんな偶然もあるんですねぇ~
柳ジョージさんはCMソングも歌っていたようで派手ではなかったですが
活躍されていたんですよね。しゃがれ声が良かったですね。
この二曲がとってもいいですね。
偶然というか、きっと波長が合ったんだと思いますね。
キリストさんに言わせると「偶然」なんか無くて「必然」であるって
言っていましたね。
骨のある和製ロック&ブルースシンガーで好きでした、残念です。
ニュースを聞いて私も昔のカセットを探し出しアルバムYOKOHAMAを聴きました。車好きの私はこの中のグルービーガールの歌詞が好きで♪ヒップアップのカマロに乗って本牧ふ頭をぶっ飛ばす~♪を聴きながら20代後半、助手席に女の子を乗せてお気に入りの車(国産車でしたが)をころがしていました。
R.I.P
これしか言葉はありません‥‥
柳ジョージさん、は大好きでカラオケに行った時は、必ず「酔って候」を歌っています。24歳のときに勤めていた婦人服メーカーの先輩が柳ジョージとレイニーウッドが好きで営業車のカセツトで「雨に泣いている」を聞いてから好きになりました。・・・・ご冥福をお祈りいたします。
追悼コメントにしては、ちょっと軽すぎましたね、失礼しました。
歌詞に出てくる本牧埠頭も埋め立て埋め立てを繰り返し、素敵なJapanになっちゃって、、アメリカーンのV8の咆哮が似合わなくなってしまいました。この頃、初代セリカが格好良く思えてきました。
MG-5 さんも好きでしたよね。こういう人は長生きして老後を迎えてるより早く終わったのも正解だと思っています。プレスリーが白髪と老いを見せないで亡くなったように、、
わたしの業界で同世代の奴らはたいてい聞いていました。
2年前、ある建設屋の監督が聞いていたので、「おっ懐かしいねぇ」
と言って親指を立ててきました。
ぜんぜん軽くないですよ。思い出話は柳さんはきっと大喜びですよ。
しゃがれ声が個性だったのでしょうね。