スナックのお話
2007年 10月 17日
が・・・・わたくし学校を出て2年後に八丈島の保健所の設計監理(監理とは設計したものが正しく施工されるように導く指導監督・助言)で独りで行かされました。もっとも月2回でしたが、八丈島なんて「鳥も通わぬ・・・・」ですから、とっても異国の地に感じましたね。また現場の職人さんたちは気が荒くて「島工程」と言われるくらい全ての工事の進捗は「島の職人の気分次第」と言うのがあった時代で現場が遅れれば発注者の都から怒られるし、職人に注意すればなんでもかんでも僕のせいにしますしね、挟み撃ち状態で八丈島なんか地震が来てなくなってしまえば、僕はYS-11に揺られて行かなくて良くなると真剣に思いましたもの・・・・
ところが人間同士って面白いもので段々と心打ち解けて行くと「若い先生よ、今晩はよ島焼酎飲ませてやっからよ」と言ってくれる職人さん(型枠大工)もいて、僕も夜は独りで民宿の和室で風の音を聞きながら布団に入っているのもつまらないので八丈島のスナックに連れていってもらいました。
八丈島って伊豆諸島の中でも一番建設や産業が盛んなところで「親不孝通り」と言うスナック街がありましてねその中の一軒のスナックに入ったのです。おねえさんなんかいません、いるのはママさんだけです。そこで職人さんから建築技術や苦労話、恋愛話しを聞かされて行くわけですが、バックグランドにはいつも演歌が流れていました。たまに東京からデビュー仕立ての歌手がドサ廻りと言うか自分のテープを持って営業に来ていましてね、この人達見ていると「苦労してるのは俺だけではない、あいつもだ」と思いまして元気づいたわけです。
引退を表明した僕がこんな事を書くのはバカ・マヌケとか口も渇かないうちにと言われますが、八丈島の夏のナイトライフが一番楽しかったです。何でかと言いますとね、そのスナックに東京(本土と表現していました)の女子大生がバイトに来るんですね。わたくしも26歳でしたから、女の子の匂いがしただけでコーフンのるつぼ状態でたまりませんでした。ある日なんか八丈島でバイトが完了した女の子を八丈島にある大きな底土港(そこどこう)まで現場の車でその子の寮まで迎えに行って、波止場でお別れのテープを持って手を振ったりしましたし(自分も本土の人間なのに島民の顔して)、飛行機で帰れる子は空港まで送っていって待合室で手を振ったりしました。
そしたら同じ飛行機で帰る都庁の人に見つかって「設計事務所にバイトの女の子の見送りまで委託したことはない」と笑われたりしましたので「これオプションです」と言い返ししました。
そんな話しですが、演歌を聞くと八丈島の紅花のスナック和泉を思い出すのです。
ちなみに現場が終わって一年後、スナック和泉のママさんち(木造)を設計しました。設計料は格安の30万とクサヤ20枚頂きました。
島の職人さんたちと心打ち解けて良い関係になったのが最高に嬉しいですね~そうじゃなくて女子大生たちとの思い出が最高かな~
引退表明をしたからと言ってバカ・マヌケとは思いませんのでご安心を!!ストライクゾーンが広いのは素晴らしいことだと思います。今後はもっともっと広げて人生を楽しんでください・・・
引退式にゲストで呼んでくださるのは嬉しいですが、まだまだ先のことだと思っておりますので。
まだ26歳の若い青年が設計監理を任されて、一人で八丈島へ行くのはとても気の重いことだったと思います。でも、そんな中でも楽しい時間が過ごせて良かったですね。そうでなくっちゃね!
女の子のお見送りは波止場やら空港やらで忙しかったようですが、島民の顔をして見送っているところがまた先生らしくていいですね。
演歌というのはメンコの数(年を重ねていくうちに)心に響いていくものですね。まぁ、プレスリーの曲でさえアメリカの演歌みたいなものですけど・・・・着物とジャンプスーツ、黒い目と青い目のチガイなんですがね。大きな思いでは女子大生ですね。それとフィリピンの女の子達、母国の兄弟姉妹、母、父ににゴムサンダルを買って帰るのが一番の贅沢だと聞いて泣きそうになりましたし、またこんな遠い八丈島まで来て働くわけで何かと不便もあるでしょうと思うと、バカヅラした私がデュエットで楽しんでいていいのかな?とも思いました。島焼酎の明日葉割りを飲ませてあげたいです。何杯のんでも二日酔いは無し、クサヤとフレッシュな魚、漁師さんたちのお話でとことん酔わせてあげたいです。
気が重い状態は初めの三ヶ月でしたね。天気が悪くなれば飛行機は飛ばずに空港上空を回っていていつの間にか羽田に帰ってしまいますから・・・その当時は名古屋便も一日1便あったんですよ。わたしこの八丈島の経験で、今ではどんな仕事も怖くないです。当時の事を考えればちょろいと言っても言い過ぎではないような気がします。
ただ八丈島は霊感がある人にとっては疲れる島らしいです。
現場に行くと我々設計事務所も現場着を着ていますし日に焼けますので島民になれましたし、品川ナンバーの錆びだらけの自動車で乗り付ければ島民ですので、女の子達もひと時の夏を堪能してくれたかと思います。(僕がお世話になったんですけど)イルカさんの海岸通りと言う曲ではないですが、「別れの紙テープ」ってひと巻きが途中で切れるものなんですよ。それを見ながら飛行機で帰ればいいのによ?と思っていましたね。我々の大先輩で関西の方の新婚旅行先のメッカだった八丈島でもあったわけです。
その女子大生は今はおいくつなんでしょうね。確かに演歌って・・。今もそうなんですが、心に響きません。演歌で好きな歌手はヒカワキヨシさんくらです。話は変わりますが、今日ジムでトイレが一個しかないのにおば様に先を越されてしまいました。しばらく戸口のところで待っていましたが、中から「ぶッ。ブリっ。」と音がしました。オバサンになると羞恥心が消えてしまうのでしょうか。せめて音消しでも使ってほしいです。なんか、悲しくなりました。
僕が26歳の時でしたから、当時20~21歳くらいではなかったでしょうか。とにかく彼女らはスキューバーを楽しみに長期滞在するついでにスナックでバイトですからね。だから今では40歳オーバーでしょう。実際は夜中までバイトですから翌日は疲れて寝ているだけだと言ってましたね。
氷川きよしさんがデビューして演歌界が変わったような気がします。おばちゃん達(僕の世代を含めて)に「きーよーしー!」と叫ばれる彼ですがいつまで続くかと思います。
音消しはTOTOで音姫という製品が出てて水を流す擬音が流れますね。僕も某ライブハウスでおばちゃんの「ぶっ、プゥ~ウ」を聞いた事がありますよ。なんか力まで抜けてしまいました。そしてその場の空気を拡散したくなりました。もっともアソコの締まりも悪くなるに連れて羞恥心も無くなってしまうのでしょうね。
今日のジムのトイレでは最悪でしたね。そのような経験をデパートの女子トイレでもされたことはありませんか?私は何回かあります。列を作って待ってると、「ブッ!ブリッ!!シャ~~。。。」のあとにおばさんの「ア~。。。」という満足気な声まで聞こえてきて、何ともいえない気分にさせられます。
おばさんになってもあんな風にはなりたくないですよね。
トイレでの出来事といえば、先日、会社でトイレに行ったら誰かが入っていて物凄~く臭かったんですね。いつもなら入るのをやめるのですが、その時は急いでおりました(因みに“小”の方ですが!)もので仕方なく入ったら、「悪臭の素」が逃げるように出て行ったんです。私は次に来た人に悪臭の犯人にされたくないものですから急いで用を足して、追いかけるようにトイレから出て犯人を確認しました。私が日頃から声を聞くのもイヤだと思っているおばさんでした。思わず鼻の穴を膨らませて、思いっきり鼻から空気を出しましたわよ。せめて消臭スプレーを撒いてから出て行って欲しかったです。
わたしはつい最近まで女の人はウンチをしない動物だと思ってましたが考えが間違えだったと思っています。また100歩譲ってうんちをしてもノイズは出ないと信じていましたがこれも夢が覚めたようです。おばさんのため息、なんとなく聞いた体験を思い出す話ですね。
プールに入る前にうんちする人は音出す人よりたまらなく嫌です。