ご好意に感謝して・・・・
2010年 05月 31日
そんな事を察して頂き、ある方がわたくしに「石津謙介氏」の著書を贈って頂きました。それもVANの紙袋に入れて・・・・・・・ありがとうございます。
ちょっとペラペラめくってみました。
遊び人(改め趣味人)ですね。そして間違えなく「女性」にもてたでしょうね。(女性に持てる男性は男にももてます)建築やっていたら、同じく遊び人と呼ばれていた吉田総理自邸の設計者「吉田五十八」さんのような色気のある建物を設計されていたでしょう。
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石津の爺のマイ・カーは知らないけれど、初期型のゴルフを運転させたら日本一似合っていたことでしょう。
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1. VAN~石津謙介
2. VAN~石津謙介 No.2
晩年、故石津謙介氏の愛車はホンダのシビックを乗っていたと思います。腕時計もセイコー・カシオを愛用していると著書に書いてありました。舶来品より日本製が優れていると私も思います。
シビックだったんですかぁ・・・これもまた似合いそうですね。
ジャガーだとかに行きそうですが違いました。
著書を読むと晩年は猛烈な財力を利用して旅して廻っていろんな経験をされていて、やはり人生「金」なんだとあらためて思いました。
だから味わいも深くなっていくようですね。VANの服を買うだけで興奮している私とは違います。
読み始めましたが、自分が勝ってに思い描いていた人物にそう違いはありませんが、かなりお茶目ですし幅広ですね。強烈な個性ですね。
「金」じゃないよ!なんて嘘っぱちだと思います。
しかしながら、それはそれ。「金」を追えば逃げますし、じゃ死んでも金は持っていけないし・・正直に生きていれば金を生むものが付いてくると思います。
僕のもっとうは「生き金」を使う事です。これは「死に金」だと思うものは一切、一銭も出さないようにしてます。ちなみに「サンプルセール」はまたとない生き金(たまに死に金)です。
シビックを愛用されてたことは有名ですね。青山にホンダの会社があり近かったからということを本で見た記憶があります。
私は1997年に石津さんにお会いしているのです。ブログにも乗せてますので覗いてみてください。カテゴリーBOOKのなか3月8日の記事です。
生き方はそれぞれですが、私は、まず自分が楽しむ事と思っています。
ご本人にお会いした上、サイン(字がとっても綺麗で迫力もありますね)まで頂いているんですね。本人からはどのようなオーラが出ていたでしょうか。
※関連でリンクさせていただきました。ありがとうございます。
あの時の嬉しさは忘れることが出来ませね。VANを作った人に会えるとは思いもよらず、ましてお話することが出来、何度となく握手もして感謝ですね。これもボタンダウンが好きでずっと着続けてきたからこそ神様がその場を与えてくれたんだと思います。 「トラッドに感謝」
石津謙介。知れ知るほど好きに成りますよ。
戦前、中国で大儲けをして終戦で無一文になり、VANで大儲けをし商社に取り込まれて倒産、社員優先で全員の退職金を支払い自分は家、屋敷を失いこれまた無一文で子供の家へ。
私の知っている元VANの社員の方々から相当の退職金を頂いたと聞いています。
明治生まれの経営者の責任感だとつくづく思います。(最近の経営者とは志が違いますね)
石津謙介は元々欲が無かったのでしょうね。晩年はいろんな意味でスポンサーが付くのです。
NTT、JR東日本、JR九州、郵政省、警察庁など各公共団体のユニフォームデザイン以来。
オリンピックのユニフォームプロディース依頼しかり。
執筆依頼、講演依頼等晩年は忙しかったようです。
↓
http://americantradclub.ikidane.com/event/event8/IVY_Event080.html
Tさんのブログ
↓
http://sokaido.blog.ocn.ne.jp/about.html
石津謙介の著書を色々読んで分かった事は、「この人、周りが頬って置かないのだ」とおもいました。
人格と言ってしまえばそれまでですが、考え方や生き方、生き様はセンスで有りそれに共感する人が沢山いるのだと思います。
秘書を雇うほど忙しい、忙しいからそれに対してお金が付いてくるのでしょう。
私はやっぱり石津謙介は人徳だと思います。
気がついた長文(反省)失礼しました。
>来るものは拒まず。
偉人と言われた人はそうなんですよね。「来るものは拒まず」なんですね。石津さんの手の平は、柔らかかったでしょうね。もしそうならその感触を感じ取ることができそうです。
この度はありがとうございました。感謝です。今「大人のお洒落」から読んでいます。P152のビキニパンツには笑いました。P86ウエストバックについて「断じて許さん!」と思いきや愛用者であったこと・・・・
元秘書のTさん、僕と同じ年齢でした。
HONDAの二輪愛好者は本田宗一郎のお墓参りを毎年しているそうです。変な話ですが、どんなお墓にお入りになったのか、そして四谷のご自宅はどんなデザインの建物であったか商売柄興味持っています。
※怒らせたら怖かったでしょうね!
石津謙介はお墓が無いのですよ。
遺言で献体に出されました。
息子さんを若くして病気で亡くされ、それも異国のハワイの人から沢山の応援をいただいたのが献体を決意したきっかけのようです。
献体、調べたら帰ってこないようですね。
お金にも執着せず、自分の最後も肉体に執着せず
なんと感想を述べればいいかと迷う事実でした。