白いエナメルの靴は都会への往復切符だったのだ。副題:コマ旅行会館
2011年 08月 02日
思い起こせば、ドライアーでセットして出かけたのが色気づいた高校生の頃、お約束の紺のマディソンバックの中にはヘアーリキッドを忍ばせ(当時は資生堂のブラバスでした、2つの種類があった記憶があります)+チックでした。色気づいたって女の子が振り向いてくれませんでしたが、何かつけていないと「自信」が生まれませんでした。パサパサじゃ・・・みっとも無いですしね。とにかく朝の通学時間帯が勝負でした。ズーの後ろはツルツルと光らないようにいつも気を付けていましたしね。(でもいつかはテカルのですけど)
僕は高校時代の方がおしゃれだったかも、時計のベルトやズーのベルト、学ランのお腹辺りの食いこぼし跡など無かったですし。。。靴だって黒光りするリーガルでした。(リーガル至上主義でした)
さて、話が変わりますが、わたし今でも解明できないのがありまして、我が家の近所に「コマ旅行会館」という施設がありました。この施設は地方からの修学旅行の高校生の宿泊施設でしてね、観光バスがエントランスホールに止まるとぞろぞろと降りてくる学生達、その中でひときわ目立つのが坊主頭にエナメルの革靴(白が多かった)・・・・これは強烈でした。あまり書くとバカにしてんのかよと文句が来そうなんでやめますが・・・折角です。。。今じゃ一丁前の事を言っている貴殿の高校時代の自らのファッションを懺悔してみませんか。
それでは胸に手を当てて考えて見ましょう。
◆コマ旅行会館があった場所
高校生でIVYに目覚めVANではなくJUNの赤系のタータンチェックBDを学生服の中に着てました。ズーはオフクロに裾幅17cmダブル幅3.5cmにリフォームしてむらい、VANのコードバンのベルトと後ろポケットにはVANの銀色くし。毎朝ドライアーでヒサシ作ってスプレーで固めてました。
学生服は詰め襟が高くウエストを絞ったガクランを先輩から引き継ぎまして、カラーを付けないのが当時流行っていました。
ズーはいわゆるマンボズボンでした、ケツ、太もも付近はダブダブでポッケに手を突っ込んでいつも広げてましたね。すそ幅は17cmのダブルでしたが長目にして何個も折り曲げてましたね。靴は地元では大正靴と呼んでいた白い布靴で、トップサイダーやVANのラダーに似たヒモ穴が3つの田舎臭い靴が大流行で当時は、僕等だけでなく優等生の子達もみんな履いていました。お約束のペタンコかばんはヘアブラシと鏡しか入っていませんでした(笑)
おぉぉぉ・・結構ディープな高校生でしたね。目に浮かぶようなスタイルです。実に正しい!その時代のmurayasu428さんと純喫茶の奥のコーナーで隣はセーラー服の女子の股に手を入れてタバコを吸いたかったです。
写真で拝見したいです。
マイナスはそんなにいいですか。母がちんけなドライアーを使ってガーガーやってますんで交換してやっかと思ってます。
リップスティックさんの高校の制服はなんでしたか?
私は1970年代半ば頃、その「東京コマ旅行会館」に泊まりました(6_6)
東京メトロ南北線の「六本木一丁目」駅・泉ガーデン付近にあったと記憶しています(a_a)
そうです、その通りです。当時の僕は(父の所有)今の泉ガーデンの場所にあったマンションにいました。あの当たりは友達が住んでいて開発で皆いなくなりました。六本木一丁目でIBMのビルも今は空ビル、森ビルも撤去され今後は泉ガーデンの横にまたビルが出来るようです。
私の高校の制服は、濃紺のブレザーに前後二つずつのボックスプリーツスカート、そして白いブラウスに棒タイでした。
なんかわが高校の女子の制服に似ていますね。
ネクタイは直径6mm位の紐のようなものでした。