発祥の地
2008年 03月 08日
済生学舎といえは日本医科大学の前身で日本の偉人「野口英世せんせ」の卒業した学校であると聞いています。我々は野口英世せんせと聞けば福島県は猪苗代湖のほとりで生まれ、お母さんの不注意で囲炉裏に落ちて片手におおやけどを負って、てんぼう!てんぼう!とからかわれ、でもしかし学業成績抜群で・・・・あとは知っての通りですが・・・・
ところが評価されたのは日本だけでアメリカじゃあまり評価されなかったのだとウェブで知りました。が、僕としてはそれでもいいじゃないか!と思うのであります。1000円札に御影が印刷されるだけご立派ではありませんか!自身の御影が公的文書で印刷されるのは免許証かパスポートだけだという我々より大したものではありませんか!
さて、皆さん・・・ご自分の発祥地を振り返ってみたことがありますか?
何千年も前の誰かが誰かを生んで、その誰かが誰かを生んで、そして母を生み、そして今の自分があるわけです。そんな発祥の人に会えたら楽しいではないでしょうか。
それでは・・・・
いつだったか、野口英世せんせのご親戚に当たる方がテレビに出ておられましたよ。野口せんせが落ちたという囲炉裏もまだそのままありました。
自分のルーツって調べてみたいですね。
自分の発祥は知りたいですねぇ・・・島国に生まれたルーツを。。。
土手せんせは結構素晴らしいものを開発されています。たとえば色素沈着した乳首をピンクに変えるピンキークリーム、女の子と話すのが苦手な男用のおしゃべり唇マイクなどいろいろとあります。
野口せんせは福島県の誇る偉人なんですね。野口記念館に行った事がありますが今は県内随一の観光地、磐梯国定公園を裏に控えそれはそれはすばらしい場所にあります。
水道橋の駅から歩いて20分、閑静な住宅街の中にあります。土手せんせが暖まったと言うコタツとせんせが女によく作ってもらったエースコックのやきそば用のアルミのフライパン、女を乗せて銭湯に通いに使ったといわれるママチャリ、おふんどしを干したと言われる洗濯バサミ、せんせが後生大切に懐に潜ませていたと言われる神田明神さまのお守り、研究所の鍵とキーホルダーなどまだ202号室に残っています。親戚の所に行った時は寄ってみてください。入館料は¥105円となっています。
昭和3年、土手せんせと別れた彼女は世田谷村、今の三権茶屋あたりの豪商に嫁いだそうです。土手せんせも別離が理由なのかよくわかりませんが、ショックだったんでしょうね。毎日、近くを流れる神田川の土手に座って石を投げていた姿を近所の方に目撃されています。85歳になった時に彼女と再会するんですね。もっとも彼女も78歳のおばあちゃん。その二ヵ月後、土手せんせは釘を踏んづけて怪我をし破傷風で他界したそうです。・・・・と案内書に書いてありました。銭湯が15円だった時代の話です。
昔、猪苗代湖のほとりの野口英世記念館に行ったことがあるんです。
もうだいぶ、昔のことであまり覚えてないのですが・・。
確か、磐梯山のほうにスキーに行ったときだったと思います。
自分の発祥地・・。はどこでしょうね?父は東京の人だったと聞いたけど、祖父は九州だったようです。
brighthorn さんはどこが発症なんでしょうか?
国体の会場にもなった磐梯スキー場にたまに行きましたけど、当時の愛車ポンコツスバルはどんな車よりも雪道に強かった覚えがあります。
わたし、南の島の音楽を聞くと血沸き胸踊りますのできっとタヒチかハワイかフィジーかフィリピンかサイパン、グアムではないかと思っています。